せいさくちゅう

3月に青梅の明星大学にて制作をさせて頂いていました。190mm×190mmの作品にしてしまったもので、149cmの私の体は枠に翻弄されつつ、腹にインクをつけつつ、渋谷先生のカレーを頂きつつ、なんとか完成した。大っきいといつもの事ができなくなる。いつもの事の意味が変わってくる。私は一体何を作ったのだろうと、とりあえず今度考えよう〜笑

2016年

10月

23日

反復

おなじものがくりかえされる、版画。

なにかの模倣の芝居。

なにかすでにあるものを反復することが似ています。

 

 

「反復」とはおなじものをただ繰り返していくことではなく、少しずつ変化し前に進んでいく流動的な意識が必要と、ドゥルーズもいっています。多分。


芝居はある感覚を呼び起こしそれを模倣していく。その流動性は同じことをしても激しく変化し身体を感じざるを得ない。

それが好き。

 

 

どんな、小さな出来事も、つねに変化しとどまることなく流動している。皆一緒だと思った瞬間から人間の思考も可能性も止まる。

小さな変化を見逃さない感性が大切ですね〜。

 

 

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2016年

4月

28日

デッサン

Facebookでもシェアしたことなのですが、ここを読んでいる方にも是非読んでいただきたいブログです。勝手にご紹介してしまってますが、大丈夫なのだろうか?後ほど連絡をさせていただきます!

http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243701

 

 

本当に素晴らしいんです、デッサンって。美術を学んでいない方も絶対やればいいのにといつも思うのです。ものの見方、私は人生観が変わりました。コレ本当です。

 

 

デッサンの方法論はいくらでもあります。

 

こうすれば上手くなるという、結果だけ教えていればそれで上手くなるかもしれません。ただそれでは小手先の技術が身についただけでデッサンの一番優れた部分の物事を思考する力は全く身についておりません。

 

 

 

本質には全くたどり着いてないっチューことです。

 

 

これはとても勿体無いことで、多くの方は時間が無いからという理由でデッサンにかける時間を効率化し早く上手くなろうとするか、やらないかです。

 

デッサンはただ絵が上手くなるだけの方法ではありません。それだけに押し込めてしまうと本当に悲しくなります。

 

しっかり描けるようになると自分の位置が見えてくる。

それが世界に、さらには宇宙にまでつながると言う方もいらっしゃいます。

ただ見て描くということも突き詰めれば思考を変えるだけの力があるのです。

 

ただそこまで理解するには一つ一つ自分で描いて気づいていくしか方法はないのです。正直、長旅です。

 

私はどんな人間でもやる必要があると思うので、例え時間がかかっても頑張って欲しいです。特に今まで合理的に生きてきた方には是非やっていただきたい、、、。

 

またこれについてはゆっくり書きます。。。

 

 

 

 

雨ジャーーー

 

 

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2016年

4月

02日

信じる

何かを信じることは大切なことなのですが、芸術に関して言えば信じるというスタンスは捨てるべきだとおもうのです。

 
知ることは大事だし好きな作家等いて然るべきとおもいますが、普遍的な事や自分の内側からでてきたもの以外は信じるべきではない。
 
その基本スタンスができていないでしがらみや色んなよけいなものばかり気になるようなら本質にはたどりつけませんよね。 
 
自分に言い聞かせる意味でも書きましたが、現代がクリアな芸術界になってほしいなとゆう思いを込めて、、、。
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2016年

2月

28日

リアリティ

リアリティを感じる
ということはよっぽど感覚が鋭敏なときでないと
感じられない感覚だとおもう。
リアリティという言葉の意味が
日常でも使われるものなので単にリアルだとか、
本物っぽいとゆうような感覚でつかわれているから
余計わかりづらい。
美学や美術、哲学で使われる際の
リアリティ
の言うところの言葉は新しく作ればいいのにと思う。
自分がここに在るということをありありと感じる感覚だ。
人の話や絵を聞いたりみたりして、現実と比べて
「リアリティがあるね」
とゆう感覚とは訳がちがう。
私は生涯に本当の意味で感じたことはほんの数回。
はっきり感じたのは23歳の一回だけ。
頭がボーっとしてるときなんかは全く感じれないです。(でも以前書いた、脳をつかいすぎた多摩美受験のときは別でしたが。) 雑多なことにうもれてると、なかなか感じれないんだなー、これ!
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2016年

2月

27日

ひびく

わたしの行っていることは一部の人からみたらなんの特にもならない、なにもかんじられないものかもしれない。たまに似た感覚の人には響くのかもしれない。結局自分の中にあるものにしか人は反応しないし響かない。それが自分の外側の他者が表現していたり言っていたりすると感動するんですよね〜。本の文章も自分の中にある求めている部分にしか感動しないし、反応しない。でもできるだけ自分の求める感覚は広げていけるようにしたいと思います。

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2015年

11月

09日

ひょうげんの動機

アートプログラム青梅会期が来週までとなった。アートの文脈からの思考もさることながら自分の制作を真摯に行っている作家が殆どだった事に驚いた、皆さんの作品を拝見して、『連綿と』『つらなり』というワードがずっと頭の中をグルグルしていた。シンポジウムの際にも話に出ましたが、作家の崇高性という話で、やはり何かを作るという行為は時代を超え、普遍的なものに触れれる唯一の機会なのである。そこを見据えず制作する事も出来るがやはり私にそれはできないと強く思った。ただ、アートの文脈にのみ縛られる事もしたくはない。

私の表現の唯一の目的はこの世界の成り立ちを探るという事、自分の先端に常に立ってそこを掴んでゆく事それのみだ。人間は何のために行きているのかその大前提抜きに私達は生きている。 自分の先端に見えたものを公表し、例えばそれを違うジャンルの人がみてイメージを膨らませていくといったようなことだ。それぞれが宇宙の構造をふくんで生まれたのだからそれぞれの人がその人にしか見えない先端を公表しあえばなにか突破出来るかもしれない、なんて風に考える。ただそれは途方もない事であるがとにかく私は自分の先端のみ見据えていけばおのずと急がば回れで普遍に触れる事が出来ると信じています。

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2015年

11月

09日

アートプログラム青梅2015

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2015年

10月

02日

制作中から一段落

青梅に出す作品を一区切りつけました。

アトリエからの帰り道、

家の近くに出来た新しい道を思い出して歩いてみた。

どう考えてもいらない道。出来た所で混雑緩和にもならないし。

本当に意味が分からない。税金の無駄遣いしていらない道路作りやがって、、、ボロクソに思っていた道路。 

歩いてみたら今まで見えなかった位置から色々見えてこれがこの道の良い所かとムカムカしなくなった。

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2015年

5月

17日

まだまだ制作中

表向きは面で構成した作品ですが私の中で意識している物は表から裏にかけての意識の軌跡です。                      意味が、わかりませんよね、きっと 笑。 また完成したら説明します。  そして縁です。          自分の中でも掴みきれていない感覚が多数なのでもう少し制作を続けて明確にしていきたいです。

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2015年

2月

11日

かちかち

万年肩こりだ。


肩が凝りだすとあたまのかいてんがわるくなる。できるものがなんか固くなる。だからなるべくはやくねてストレッチをしてぐにゃぐにゃの状態で制作しなくてはならない、わたし。

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