表面

 

久しぶりにドゥルーズ。

集合ではなく全体として、全体の中の個は閉じられていなく開かれた状態でまわりとつながる、現在が過去になっていくという序列はなく現在は過去と一かたまりで、現在も過去も知覚の開かれた全体としてのかたまりってことか、、、。ドゥルーズさん、ベルクソンさん、すごいなあ。

 

人間も物も物質として揺れ動き、変化作用しながら存在を保っている。

 

記憶は知覚の過去の産物ではなくひとつの物質として現在も過去も時系列関係なく揺れ動いている。

 

記憶も物質がつくりだした物質で、それを信じるに足るものとするにはいささか不安がある。とは思っていた。でも現在も過去も並列させる大胆な思考はできないよ、本当にすごいと思う。

 

 

ところでわたしはこの概念を聞いた時大分物質よりな感覚なのだが石膏取りをして、内側の粘土をかきだす作業と外側から表面を割り出していく作業を体験した時の感覚を思い出した。表面のあり方にものすごく思いを馳せたのだ。絵を描いていると表面のラインの殊更意識を向けがちだが内側からの盛り上がりの果てが表面をかたち作っているという実感とともに表面てなんなんだと迷子のようになった記憶があります。何週間かにわたり感じた粘土の触感や抵抗感、その時々つかんだ感覚は地続きで現在過去関係なく変換可能な気がしました。

ちょうど井田昭一さんの概念 surface is between を知った頃で、表面への関わりかたが変わった時でした。

 

人間としての表面は常に流動し変容する物質の変化する表面であり、確定したものはなく、常に生成変化している。

 

どっひゃどっひゃー!なんてこった!