そら

空をみたとき
絵をさんざんかいていた時期、空をみると
絵にする目に慣れていたので、
空の色、雲の様子の一つ一つ、が絵としてならこう描いてこう描く!
とシャキシャキ脳が動いた感じがしました。
と同時にものすんごく感動したことも覚えています。
このことは以前リアリティのところでもブログに書いた気がします。
あの時なぜあんな状態になったのかをよく考えます。
絵をずっと描いていたせいで 
「見たモチーフを自分のフィルターを通して解釈し直す」
という作業を常にやっていたので
空を見た時も自動的にそうなったのだと思います。
すべてが自分をとおして解釈され、絵を見る目で解釈され、ものすごく感動しました。
はじめて世界にふれたような発見でした。
わたしはそこではじめてものをみたんだとおもいます。
いやいや、それまでの人生で見てなかったんかい、と突っ込まれるかと思いますが、そうゆう目では見てなかったんです。
絵を描くことってあたらしいをもらうみたいなものと考えています。
それって絵に限らず他の諸芸術にもあてはまる部分あるかと思いますが
絵はまた音楽とも身体表現とも違う不思議な奥行きのある世界だなーと思います。
そこがやっぱり視覚芸術と言われるところなのかしら。
ただ、目といっても見るということはとても身体的なことであってその
「ある」状態まで身体が至っていないとその目にはならない。
だからこそ体全体で今を解釈している状態にならなくてはならず、その
結果リアリティにつながる。
ここらへんはまだピンとくる答えにはいたっていないのですがね。
いまもそらをみると普通に感動はしますがあーもうどうしよ〜くらいで、そのときのぞわぞわして
バチン
と世界が広がったようなかんじにはなりません。
ただ空ってのはほんとに私たちにとてつもなり広がりをみせてくれます。
そりゃもうとてつもないやつ。
日常と宇宙の時間軸の途方もないギャップに笑いそうになります。
ゾッとするけれどその単純な美しさといったらない!!
今日は空の美しさを描きたかったのですがなんか脱線しまくってしまいましたね。また今度。