実感

ひとつのことに実感するのにけっこうな長い長い時間を要したりしますよね。

ずいぶん前ですが、制作でやりたいことが山積みで、とにかく手を動かしたいという欲求が強い時期がありました。あーだコーダをくりかえし、一年経って、[あ、奥行きがだしたかっただけなのね]と気づきました。絵で奥行きを出したいなんてみんなが考えること、模索すること、当たり前のこと過ぎてとっくに自分はそんこと考えていないとおもっていたのですが、じつはそんな単純なことを体は理解したがっていたという事実にびっくりしました。

そこで奥行きを出したい!と模索して得たものは強い柱があるような感覚としてのこっています。やはり手を動かすこと、体を動かすことでしか会得できないものは確実にあって、そこからの実感はなによりも強いものになるんだとおもいます。

その回路を増やしてけば本当のいみで [わたしの感覚として] 世界が掴めるんだなー。


よく言葉にできないのは理解していないと同じという言葉を聞きますが、それは本当にそう。でも言葉に換言できなくて固まりとして放置することも重要なきがするのです。なんとなくわかるという感覚、言葉では拾えない感覚があるからこそ表現というものが必要。なんですよねー