自分と他者

人にわかりやすいものとは?
前の作るクセの続きどすえ。
人にわかりやすいのを描けと行ってくれた人たちは単にレベルをさげろ、
みんながみえているものをつくれといっているのではない
ことはわかっているつもりです。(そういう人も中にはいたのかな?)
時代を読み、そこに通じるもの、求められているものを発信していく、
それもまたすごく大変なことで尊い作業ですね、んなことわかってますよ!
ただ、分かりやすくすることがレベルを下げることになっているケースもありますよね。それでは文化は進歩して行きません。
むづかしいところではありますが、、、、。
自分のみえている先端のもののレベルは変えず、
アプローチとして
如何にわかりやすく噛み砕いて提示させるか、
これがきっと皆のいうもので、
私に足りない力なんだろうなとおもいます。
人間というものは生まれた以上外にも開いた状態で、他者とか関わらなくてはいけない存在なんだ、ということをもっと意識しなくてはなりまへん。
頑張りますわー。
ただ、本当に必要なのかはまだ疑問です。釈然とはしません。笑。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    モトジ (月曜日, 08 8月 2016 15:18)

    異質なモノとか人って、大衆的ではないですよね。
    納豆嫌いな人に納豆食わせる為に(こんなにウマいんですよ)
    食べやすくするけど、本当の納豆の味は違う(もっと臭くて粘る)
    最初に納豆食った人ってスゴイと思いません?見た目も匂いも受け付けない感じなのに、食ったらウマかった。
    で、皆も食ってみって段々とそのウマさが広がって・・。
    自分は人と違う感性でモノを見て表現する(したい)って思ってる時期なら、存分にそれをやりきればいいんじゃないかと。
    人に言われたから方向変えますとかって一番嫌いなんじゃない?
    自分が納得するまでトライ&エラーする。
    もうダメだって思うのか、まだまだ粘りまっせと燃えるのか、
    その時間も人それぞれですよね。


  • #2

    中田有華 (月曜日, 08 8月 2016 23:19)

    元島さん!またコメントありがとうございます。納豆最初に食べた人本当にすごいなといつも私も思ってますよw。納豆の例え、おもしろいですね。そうですよね。存分に今やりたいことをやりきっちゃいますわ。本当、いろんな選択をどうとらえていくのか、ひとそれぞれで、絶対ってものはないんですよね。
    自分の自分の感性を掘っていくことが表現なんだと信じております。