みたいに

~のようにしたいがすべての芸術の初動機だとおもう。つまり、現在あるもの、外の世界を模倣すること。

 

人の祖先は、あの牛のように描きたい。

 

あの鳥のように動きたい。

 

 

とよく観察をして各々の表現へと転化していった。

 

 

となると、[あのような]と考えるさいのイメージ力とはなによりも大事で、さらにそれが表現したいと至らしめる感性、感覚とはなんと素晴らしいことか。

やはり芸術において感性の排除なんてありえないよ。

 

 

昔から私は作品の内部に地層のようなもの、積層している何かの内側をつくりたいなとイメージしている。

それを見えるようにしたいのか、内側にあるようにしたいのかはまだよくわからない。

 

~のように作りたいということだけに固執するのは表現ではないが、そこから離れた表現ばかりしていると~のように作りたいという感覚を取り戻さなきゃ!という意識が生まれる。

 

おそらく、外の世界と内的世界を結ぶバランスのようなもので、表現するさいの後ろ楯がそれなんだとおもう。

 

何かを画面に描くということはそれだけで外の世界と内的世界を結ぶ架け橋になっている。

外の世界と断絶した脳だけの表現では先細りし、実らない。

外とのアクセス方法は模倣以外にもきっとあるのかもしれない。どのような形でもいいから外の世界と関係を結ばなくてはいけないと思う。