すきなもののかんじ


話していて、完結した言葉の感覚で話してる人、決めてかかって固めて話す人をみると、んーって思う。

いいとか悪いではなくて、んーって感じ。(笑)自分もその方が楽だから気持ちはわかるので。

いい意味で言葉に幅を持たせて開かれた感覚にさせてくれる人と会うと心が解凍されます。例えばそれはドゥルーズでした。



反復と差異の中で、何かと何かの差異を考え出すと、まずそのものたちの同じ部分を基準にし、そこからの違いを考え出す。そうすると差異を考えていたはずなのに同一性が、テーマになってきてしまう。これをきいてなるほどなーとおもい、さらに同一性は結果としての視覚的なものだけであるからそこを重要視するのは違う‥とゆうような部分にまた興奮した(笑)

   

以下引用  ドゥルーズキーワード

「同一性は視覚的な特殊効果であり、正確に同じ状態が観念としてであれ物体の状態としてであれ、再現されることはない。」


「同一性は生成のプロセスの途中で生まれる一つの「結果=効果」にすぎず、決して前提にも原理にもなりえないということだ。」


「あらゆるものは一瞬たりとも同じものに留まることのないさまざまな運動や変化が寄り集まったものなのだ。」


「物が動くのではなく、物の存在そのものが運動であり、差異なのだ。

常に変化し流動している。」


ベルクソンに影響もうけているみたいなのでもはや誰の考えかはどうでもいいです。単純にこの文章がひっかかったのです。